7 黒い海に沈みゆく船

海の色が、どことなくおかしかった。

空はすっかり晴れ上がっているというのに、まるで分厚い雲が影を落としたような真っ黒い海だった。

森の木々も、雑草も、目につくものすべてが暗く息づいていた。

結局、船は助からなかった。

不時着した場所は、高い波が打ち寄せる岩礁だった。
所々にその残骸が散らばり、本体も妙な角度でよじれ、見るからに無残な姿に変わっていた。

まるで、巨大な魔物に叩きつけられたようだ。

「おい、冗談だろ、こいつは」

脇田は呆然としていた。

彼らを乗せたカプセルは、海岸から少し離れた丘で切り離されていた。

「何だか、マリナスじゃないみたい」

カプセルのなかから恐る恐る外を見回しながら、マリコが言った。

脇田が返事しないので、彼女は側まで歩いて行った。

「あれはもしかして」

「ああ、俺たちの船だ。あの様子じゃ、誰も助からない」

「みんな、死んでしまったの」

マリコは涙声で訊いた。

脇田はたぶんね、と答えた。

彼はマリコの肩に手を置いて、やさしく抱き寄せた。

二人は途方に暮れ、岩場に腰を下ろした。

波の勢いが、少し強くなっていた。

岩に打ちつけられた波が白い泡となって、二人の足元に降りかかってきた。

「ねえ、脇田さん」

マリコはぽつりと言った。

「なんだい」

「この星に、他に人はいるのかな」

「さあ、分からない。でも、もしかしたら、他にも助かった人がいるかもしれない。僕たちみたいにさ」

「そうだね。ユキオくんとか、翔太くんとか、美咲ちゃんとか」

「レオくんもいるだろ」

「うん、レオくんも」

二人はしばらく無言で海を見つめた。

「あの兄妹は、両親を失ってしまったんだよね。レオくんは、もともと孤児だったらしいけど」

マリコは脇田に言った。脇田は何も答えなかった。

いつの間にかカプセルにいたはずのユキオが、砂浜を歩いていた。

きっと脇田たちを捜しているのだろう。

「おおい、ユキオくん。こっちだよ、こっち」

脇田は大声で呼んだ。マリコは脇田をたしなめた。

「聞こえないのよ。こっちを向いたら手を振るのよ」

頼りなく砂浜を歩いたユキオはやがて立ち止まった。ほぼ黒焦げ状態にノーヴァの残骸に、呆然としている様子だった。

マリコは大きく両手を振った。

ユキオはそれに気付き、走って二人のところにやってきた。

『ここで何をしているの』

ユキオは息を切らしながら、手話でたずねた。

『船をね、見ていたの』

マリコは力なく微笑みながら、ユキオに手話で答えた。

『船なんか見てないで、早くカプセルに戻ろうよ。あとの3人も心配してるよ。非常食も見つけたんだ』

ユキオは脇田とマリコの手を引っ張った。

『非常食?』

マリコは驚いて訊いた。

『カプセルの中にあるんだ。床収納みたいなところ。そこに食料と水と寝袋があるんだ』

ユキオは得意げに手を動かした。マリコは脇田に手話を読み上げてやった。

「それはすごいな。どうやって見つけたんだ」

脇田は手話が出来なかったが、ユキオは脇田の口の動きを読むことができた。

『僕が見つけたんじゃないよ。翔太くんと美咲ちゃんとレオくんが見つけたんだ』

『え、翔太くんと美咲ちゃんとレオくんはどうしてるの?』

マリコは心配そうに手話でたずねた。

『うん、無事だよ。今、シェルターで待ってるんだ。早く会いに行こうよ』


ユキオは再び脇田たちの手を引っ張った。

「待ってくれ、ユキオくん。どうしようか、考えているところなんだよ」

『何を考えているの?』

「潮が満ちるかもしれないからさ」

脇田は思案に暮れながら、そう言った。

『潮が満ちるって、どういうこと』

ユキオは首をかしげた。マリコも脇田を見た。

「海の水位が上がるんだよ。だから、この岩場はもうすぐ水に沈むかもしれない」

「じゃあ、あの船は」

マリコは慌てた。

「そうだね。でも、カプセルに発信機が付いてるそうだから、ノーヴァが失くなっても、捜索隊とのコンタクトは大丈夫だと思う。でも…」

脇田は深刻な表情で言った。

「あの兄妹は、悲しむだろうな」

マリコとユキオは悲しげに頷いた。

「じゃあ、行こうか」

脇田は立ち上がった。

「うん、行こう」

マリコも立ち上がった。

三人は手をつないで、丘へと歩いていった。

カプセルが見えてくると、ドアが開いて、翔太と美咲とレオの声が聞こえた。

「ユキオくん、脇田さん、マリコちゃん、どこにいたの」

「ゴメンな。勝手に出て行っちゃって」

脇田は三人にわびた。

「早くこっちに来てよ。船は見つかったの」

翔太と美咲がすがるような目で、3人にたずねた。

脇田は沈黙し、マリコの笑顔は強張ってしまった。

唯一、ユキオだけ手話で何かを伝えようとしていたが、なかなか伝わらずにいた。

それでも根気よく手話を続けていると、翔太の頬に涙が伝い、美咲両手で顔を覆って、泣き出した。

翔太が震える声で手話を読み上げた。

「船が真っ黒なんだろ?壊れてたんだろ?誰一人、助からなかったというわけかい?」

兄妹は改めてマリコを見た。マリコも泣いていた。

兄妹は肩を落とし、抱き合ってさめざめと泣いた。

ユキオも手話を止めて泣き出した。

カプセルは慟哭ともらい泣きが、延々と続いた。

その中で、レオだけが無表情だった。

彼はカプセルの奥に戻ると、何かをいじりだした。

それは、カプセルの床に隠されていた非常食のパッケージだった。

レオはそのパッケージを開けて、中身を取り出した。

乾燥したパンとチーズとジャムと水だった。

レオはパンにチーズとジャムを塗って、ひとかじり食べた。

大して美味いとも思わなかった。レオは味に興味がなかった。

食べることに興味がなかったし、生きることにすら興味がなかった。

人間に興味がなかった。

ただ、この星には昔から興味があった。

彼はカプセルの中にあるコンピューターを使って、この星のデータを収集したいと思った。

彼はこの星の名前を知っていた。

この星が、マリナスではなく、アキュラだということを知っていた。

アキュラは、人類が探索したことのない未知の星だった。

レオはこの星が、宇宙船ノーヴァを故意に引き寄せたと考えていた。

仲間たちの泣き声が嗚咽に変わり、カプセルに静けさが訪れた。

そしてカプセルのドアが閉じられた。

 

つづく

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